岡山にも殺生石があった!

歌川国貞作 「豊国揮毫奇術競」「玉藻前」 Column
岡山の殺生石

インド(天竺)・中国(殷・周)、そして日本でも伝わる九尾妖狐伝説「玉藻前(たまものまえ)」の前の記事をアップしたところ、反響がありました。やはり、人気もの!?

歌川豊国作

岡山 備中神楽の演目にも「玉藻前」があるので、前回の記事ではそのあらすじをご紹介しました。

江戸時代の高井 蘭山(たかい らんざん)が描いた読本『絵本三國妖婦伝(えほんさんごくようふでん)』では、玉藻前は子に恵まれない夫婦によって育てられた「藻女(みくずめ)」という美しい少女でした。

18歳で宮中にあがり、鳥羽上皇に仕える女官となった後、鳥羽上皇の寵愛を受け、「玉藻前」と呼ばれるようになります。

「玉藻前」はその美しさもさることながら、その博識によって上皇の寵愛を一身に受けることとなってゆきます。

けれどその頃から上皇は次第に病に伏せるようになります。その原因が陰陽師・安倍 泰成(あべの やすなり)によって玉藻前であることを見抜かれ、玉藻前は九尾の狐である本性を表し、逃走し行方を眩まします。

その後、九尾の狐が那須野(栃木県)に現れたことを受けて、三浦 介義明(みうらの すねよしあき)、千葉 介常胤(ちばの すねつねたね)、上総 介広常(かずさの すけひろつね)、陰陽師・安部 泰成らが討伐に向かいます。そしてついに三浦介の射った矢と上総介の刃によって九尾の狐は息絶えます。

けれどその後、九尾の狐は巨大な毒石『殺生石』と化します。この『殺生石』は鳥羽上皇崩御の後も近づく生き物の命を奪う妖力を放ち続け、周囲の人々を恐れさせていました。

南北朝時代になって会津に示現寺(じげんじ)を開いた玄翁和尚(げんのうおしょう)が殺生石を破壊、そのかけらは各地へ飛散しています。

その各地に飛び散った殺生石の一つが、岡山の真庭市勝山 化生寺 玉雲宮(かせいじ たまもりぐう)にあります。

岡山県真庭市 化生寺 玉雲宮

境内の一角に玉垣が何かを取り囲んでいて社があります。この場所の地下に殺生石が埋められているとのこと。

九尾妖狐伝説「殺生石」

こちらの化生寺も玄翁和尚が開かれたそうです。玄翁和尚が一喝して各地に飛散した殺生石は、各地の「高田」という地名(越後国高田(新潟県上越市)、安芸国高田(広島県安芸高田市)、豊後国高田(大分県豊後高田市)、会津高田(福島県会津美里町)、美作国高田(岡山県真庭市勝山))のところに飛び散ったようです。

勝山の旧地名が、美作高田と呼ばれていたそうです。今の地名からは紐づきにくくなっていますね。

殺生石と高田という地名がどうして紐づくのかは調べたのですが、わからずでした。

殺生石の由来 岡山県真庭市 化生寺

今は石碑に書かれた文字が薄れてきて大変読みにくくなっていました。こちらのブログの写真がまだはっきりしている時に撮られたのか字が読みやすかったので、読んでみたい方はぜひ。

この記事を書くために調べている時に知ったのですが、那須野にある殺生石は2022年に真っ二つに割れたのですね!びっくり!!!

伝説とはいえ、殺生石が割れたことは地元でも「一大事」と受け止められ、那須町観光協会による慰霊祭と平和祈願祭が行われたそうですが。。。

次回の備中神楽イベントは「玉藻前」をみなさんにお披露目できたらな、と思っています。

イベント詳細決まりましたらまたこちらでも告知していきますね。お楽しみに!

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