「能楽と武道~日本固有の身体性と言語について~」

日本固有の身体性と言語 Column
日本固有の身体性と言語

先日、内田 樹(うちだ たつる)先生の講演「能楽と武道~日本固有の身体性と言語について~」の講演に伺いました。このテーマは私がとても聞きたかった内容なので、忘れないうちに講演会で得た学びを記事に残しておけたらと筆をとりました。

岡山県の備中神楽や吉備楽を見させていただく中で、また舞いを習わせていただく中で、身体の調子が整い、心が安定する不思議な感覚を体感しています。この感覚は、日本古来の和の所作や音楽にヒントがあるに違いないと思っています。

内田先生が合気道の道場を開く武道家であり、能楽もされている、ということはよく知られていますが、武道の目指すところは、

「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」
ためなのだそうです。

これについて、内田先生 著書「そのうち なんとか なるだろう」に、こんなふうに書かれています。

【でも、それは自分の「いるべきとき」「いるべきところ」「なすべきこと」は何だろうときょろきょろすることではありません。
そこが難しい。
それは自分で選ぶものではないからです。
流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、
適切な機会に過たず(あやまたず)「なすべきこと」を果たしている。
そのことに事後的に気がつく。
武道をしっかり修行していると、そのような順逆の転倒が起きる。
必要はものは、探さなくても目の前にある。】

必要なものは、探さなくても目の前にある。それだ!と思いました。ここがなんとなく丁度よい、ということは自然と現れる。それはその時に気づく時もあれば、後から気づくこともある。そしてそれは先人も同じく見つけてきた感覚に近いのでしょう。
「型」と「音」には定めがあって、定められてきたことが、すなわち「道」だからです。
先人が繋いでくれた「型」や「音」には、私たちの感受性で受けとってきた「道」がある。だから、その中に身を置くと絶対的な安心感に包まれ、癒されるのだと思います。

能楽は根源的にはパッシブ(受動的)な経験で、自分でしているようで、そうではない。自我はいらないということ。「座を見る、機を見る」。互いの間合いとか呼吸、寄り添いながらいく楽だから、互いの陰陽波動のコスモロジーが渦巻いている。人間の生命的根源につながる手段として私たち先祖が積み上げてきた芸術がある、ということに感動すら覚えます。

実は来年に内田 樹先生をお呼びして講演と郷土芸能の2部での催しを企画しております。内田先生にはOKを頂きました。まだ日時も場所も構成もこれからなんですが、どうぞ楽しみにしていてくださいね。また決まり次第、お知らせいたします。

お友達が教えてくれたこの動画も面白かったので、ぜひ。

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それではみなさん、また!

次回「備中神楽ナイト」は2025年6月14日(土)です。和装で来られる方、特典あり!

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